ここ数年、どの河川を訪れる度に感じる事がある。それは川底に砂や小砂利が堆積し平らな川になって行くのがはっきりと分る。
単なる川遊びであれば実に歩きやすく安心なのだが、釣りで特に鱒狙いとなると今後が懸念される深刻な事態だと思っている。
そこから真っ先に思い浮かぶのは僕がこの釣りを始めて間もない頃にずっと通い続けた一つの 「 渓 流 」 である。
そこは僕が住む街から然程遠くも無いのに係わらず、全く観光地化していない長閑な山間の村だった。途中にある巨大な水瓶を越える頃、カーラジオからはNHKの電波しか拾わなくなり、沿道には円柱形の郵便ポスト、大村 崑氏のオロナミンCの看板といった昭和の風景がその当時残っていた。
そんな場所だったせいなのか分らないが釣り人も少なく、滅多に釣れないのだが、当然のようにそこを流れる渓流は大岩や3mは有ろうかという大淵など、実に変化の富んだ素晴らしい流れをしていて遡行に苦労しながらその景色を眺めているだけで充分満足だった。
ところがその村には年々大型のダンプカーが多くなり、周りにはそういった土木作業員用の仮設住宅が沢山建設されていた。それは上流の林道を拡張整備する為のものだった。
そうなるとその川には見る見ると砂や小砂利に覆いつくされて、僕もいつしかその渓には訪れなくなっていた。
それから随分と月日が経ち、ちょっとしたきっかけでその渓に立ち寄ってみた。ある程度の予測はしていたがそれは無残な光景だった。河原に下りるまでもない、橋の上から覗き込むだけでその惨さが分る。
遡行するのも大変だった渓流は真平らな里の清流へと変化し河童の住みそうな大淵も膝位の水深しかなくなっていた。そんな渓流に 「 キャッチアンドリリース区間 」 とかいうのが設置される様になっていて、大量に魚を放流するのだが、放たれた渓魚達も堪ったものではない。隠れる場所がないのだから外敵や人間に襲われるし、ちょとでも大雨が降ればたちまち流される、とても定着できないだろう。
そもそも一番の原因は20年前、あの日本中を震撼させた “ 日航ジャンボ機墜落事故 ” であろう。林道の拡張整備はその慰霊碑に向かう道路を建設するものだった。
あの事件の裏にはマスコミも取り上げない別の悲劇があったのだ。
こうして群馬県の南西部を流れる神流川も “ 渓流 ” としての死を迎えた。