「 昔は良かった・・・。」 とは何とも辛気臭い発言だが、ここ数年、嘗ての利根大堰下流を知る釣り人との会話には 「 今は浅くなってしまったが・・・、」 と言った昔を懐かしむ様な言葉が頻りに交わされ、大堰下流の様子は10年で大きく様変わりしてしまったが、この川底を埋め尽くす厄介者の砂や砂利が初めて出現した時期を紐解くと、実は意外に古く、個人の記録上は平成17年に釣りを始めた時に膨大な浮き砂の出現に驚愕し、これは前年の平成16年10月に本州を横断した台風23号の影響だったのだろう。
そして、その後一旦は回復したかに見えたものの、再び出現した平成20年からは以前の足を取られ抜くにも苦労するフワフワとした粉末の様な浮き砂から徐々に押し固められた砂底へと安定を始めると、以降は石碑前の辺りは完全に定着して河床上昇の一途を辿るが、その更に以前の状態に興味を持ち、こうした資料をインターネット上から長らく探している内、遂に
幾つかを発見 した。
先ず、お役所らの判断とは別に、昨今の関東と周辺地域の各河川は源流部から平野部の広域で河床上昇が深刻化しているとは10年以上も前から感じているが、利根大堰の建設が終わった昭和42年当時は現在見られるコンクリート・ブロックに覆われた直下の護床工は無く、この箇所は河床洗掘や河川低下によって堰自体の崩壊が懸念された・・・と記されているものの、上の画像を見る限り、こうした落差のある落ち込みは魚達にとっても格好の隠れ家で寧ろ望ましく、今となっては実に羨ましく見えてしまう・・・。
ここから、お役所としては上の画像にある数値を示し、平成7年9月から平成9年3月に渡って数十億円の規模に上った河床低下を防止する護床工の公共事業が行われ、現在に至っていると知った反面、冒頭の通り、今度は河床が年々上昇し、河水の流下能力を低下させるとして、再び巨額な費用を捻出して今度は一転して河床を掘削する必要が必ず生じるだろうが、お役所の示す資料を見る限り、平成16年の時点では利根川の佐原市上流、鬼怒川、渡良瀬川の
平均河床高は低下しているとの結果 全く意外で河川を未だに水路と捉えている節が伺えてしまう為、今後は千曲川水系に倣って最大値、最小値から澪筋等も考慮するべきなのだが・・・。
〇 以下、他の参考文献。
利根川(上流)河川維持管理計画
利根川水系における治水計画
利根川における総合土砂管理の取り組みについて